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2021.01.25(月)

正信偈の節回し

浄土真宗では毎日朝と夕方お仏壇にお参りしお勤めをするという習慣を大切にしてきた。
私も子供の頃は、祖父母と毎朝お勤めをすることが習慣だった。そのお勤めには「正信偈」を唱える。
夕方も正信偈を唱えたかどうかは、記憶にないが、たぶん手を合わせて南無阿弥陀仏を唱えてお参りだけして、ご膳さまをお下げするだけだったように思う。

去年妻を亡くしてから、毎朝ご膳さまをお供えして、正信偈を唱えるのが日課になった。それをしないと妻に申し訳ないような気分になるので、例えご飯が余っていてもご膳さまの分として0.5合だけ炊いている。

その正信偈の節回しに2通りあることは、数年前に知った。

右:草譜 左:行譜

妻の兄の家にお寺さんが来られて正信偈を上げられる場で、自分が知っている節回しとは違うので、宗派が違うのだと思っていた。義姉に「お東ですか?」と尋ねたら、お西(浄土真宗本願寺派)だという返事だった。
妻が亡くなって、お寺さんをお願いするのをどこにしようか迷ったが、妻の2人の兄と父が眠っている妻の兄のお寺さんにお願いすることにした。宗派も同じ本願寺派だということだから丁度良い。
自分の実家には父母や祖父母のお寺さんがあるのだが、家を継いでいる弟がお寺さんを変更してしまったので、昔からの実家のお寺さんにお願いすることもできなくなってしまったためだ。

ところで、正信偈の2通りの節回しの事だが、それは草譜と行譜よる違いであることを最近知った。
私が子供の頃、祖父母や日曜学校というお寺さんでお経を習う授業で習ったのは「行譜」で、義姉のお寺さんは「草譜」で上げておられたのだと分かった。

正信偈は節の上げ下げを、文字の横に付けた「ハカセ」という記号で節回しを表現している。
そのハカセが文字の左か右かによって、草譜と行譜を区別しているらしい。

正信偈の最初のページの右隅に「右 草譜」「左 行譜」と書かれていることを妻が亡くなってから知った。(上画像)
そして、今日ネットで、草譜と行譜の違いを調べた。
京都女子大学のサイトに「正信念仏偈・念仏・和讃・回向データベース」というのがある。
そこには、浄土真宗の9つの宗派の正信偈の節回しを、mp3による音のデータと、楽譜による音階のデータが掲載されていた。

善導独明・・・の節回し

それによると、草譜は4行目の終わりの音程が下がることは、以前から知っていたが、一番の違いは中間部の節回しにあることが今日初めて分かった。

中間部に「善導独明仏正意」から始まる部分があるが、ここが行譜では一段と複雑な節回しになるが、草譜はそれまでの棒読み的な節回しが続くことになっている。

この「善導独明・・・」以降は、節が複雑なだけに唱えるにも時間がかかる。昔、母が農繁期の忙しい時には、この部分をその前の節回しと同じにして、短時間でお経を終わることが、たまにあった。

去年の秋、お寺さんが「お秋詣り」に来られて、「善導独明・・・」以降を、母が忙しい時に唱えていた節回しでお勤めされたので、お寺さんが余程急いでおいでなのだと錯覚してしまった。
しかし、お寺さんが急いでおられたのではなく、それが草譜の正式な節回しだと、今日分かった。

余談だが、浄土真宗では「般若心経」を唱えないことになっている。
「般若心経」は宗派を問わず、広くどの宗派で唱えてもよい「万能のお経」だと思っている人は意外と多い。息子もそう思っていたらしい。
昔、TVかネットで、浄土真宗では般若心経は唱えないことを言っていたのを見たことがある。般若心経はどちらかというと自力の傾向があるように思うが、浄土真宗は「全てをこのままお任せします」という、徹底した他力本願だから、宗旨に合わないのだろう?
ここにも、そのことが書いてある。時間がなく短いお経を唱えたければ、「讃仏偈(さんぶつげ)」や「重誓偈(じゅうせいげ)」という短いお経を唱えるらしい。
般若心経は、漫画にもなるほど、今の流行りだと思う。
「色即是空・空即是色」の8文字のインパクトは強い。ラーメン屋だったか焼き肉店だったかに「是空」という店名を見たことがある。それほど般若心経はインパクトのあるお経なのだろう。

2021.01.25

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